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世界遺産に登載される『韓国の書院』九ヶ所の価値と特徴

이부평 기자 | 기사입력 2019/05/22 [09:56]
韓国14番目の保有、『性理学伝播、定型性備えた建築文化を築く』と評価

世界遺産に登載される『韓国の書院』九ヶ所の価値と特徴

韓国14番目の保有、『性理学伝播、定型性備えた建築文化を築く』と評価

이부평 기자 | 입력 : 2019/05/22 [09:56]

 

▲ ユネスコ世界文化遺産搭載が確実視される『韓国の書院』の中の一つである陶山書院     ©毎日宗教新聞

 

 

韓国14番目の保有、『性理学伝播、定型性備えた建築文化を築く』と評価

 

 ユネスコ世界文化遺産に登載が確実視される『韓国の書院』九ヶ所は世界文化遺産登載を審査する世界遺産委員会(WHC)諮問機構であるイコモス(ICOMOS・国際記念物遺跡協議会)から「朝鮮時代性理学の社会的伝播を導き、定型性を備えた建築文化を築き上げたという点が世界遺産の必須条件である『卓越した普遍的価値』(Outstanding Universal ValueOUV)を充足する」という評価を受けた。

 

 イコモスは各国が登載を申し込んだ遺産を調査したのち登載勧告、保留、返還、登載不可など四種類の勧告案の中の一つを決定し、ユネスコ世界遺産センターと当事国に伝達する。『登載勧告』を受けた遺産は異変がない限り世界遺産として登載されることが慣例となっている。

 

 書院の世界遺産登載の有無は来る630日からアゼルバイジャンの首都バクーで開かれる第43回ユネスコ世界遺産委員会で最終決定される。登載決定されれば我が国は石窟庵(ソックラム)・仏国寺(プルグクサ)、済州(チェジュ)火山島・溶岩洞窟、朝鮮王陵、宗廟(チョンミョ)、南漢山城(ナムハンサンソン)などをはじめとして合計14件の世界遺産を保有することになる。

 

 『韓の書院には紹修(ソス)書院をはじめとして慶北安東陶山(トサン)書院屏山(ピョンサン)書院玉山(オクサン)書院慶北慶州)、道洞(トドン)書院大邱達城)、 溪書院慶南 咸陽)、(ピラム)書院全南 長城)、武城(ムソン)書院全北 井邑)、遯巌(トンアム)書院忠南 論山など九つがまれる。原形が比較的よく保たれたといけたこれらの書院は2009年以前全て国家指定文化財史跡指定された。

 

 

書院は公立学校である郷校とは違い郷村社会で自ら設立した私設学校だ。

 

 朝鮮の性理学者である李滉(イ・ファン:15011570)は民と士林(儒学者)の教化のために中国の私立高等教育機関である書院制度を導入する必要があると考えた。書院を中心に士林が学問を磨いて風紀を正して人材を育てなければならないという論理であった。1548年、慶北 栄州地域 豊基郡守に任命された李滉は前の郡守だったチュ・セブンが建てた朝鮮の初の書院『白雲洞(ペクウンドン)書院』(1543)を継承することにした。彼は書院を郡内公式機関に指定して白雲洞書院に対する国家の公式支援を要求したりもした。これに共感した明宗(ミョンジョン)は1550年、白雲洞書院を『紹修(ソス)書院』と命名して看板と書籍を下賜して賜額書院(賜額書院王が扁額を下賜した書院)として公式に認めた。 

 

以後全国津々浦々に建てられた書院は朝鮮時代の人材養成のゆりかごであり、学問と政治の中心的役割を果たした。官僚を排出する塾に近かった中国の書院と違い、朝鮮の書院は先輩儒学者を賛える『祭享』、性理学を研究する『講学』のための空間としてその位置を確立したのが特徴だ。 

 

朝鮮中期以後、八道に417ヶ所(書院と混称された祠宇492ヶ所を除外)まで増えて、1865年から興宣(フンソン)大院君(テウォングン)が書院毀損(撤廃)政策を広めて後、1870年代初めには47ヶ所だけが残ったと伝えられている。当時大院君は書院が本来の精神は継承できていないのに免税、免役など特権だけ享受して国家財政と兵力を弱化させるという点を撤廃理由に上げた。

 

 

 

『韓国の書院』9ヶ所の現況と特徴は次のとおりだ。

  

▲安東(アンドン)の陶山(トサン)書院 ― 李滉の業績を賛える施設で我が国の儒教思想のメッカ。退渓先生は1561年ここに陶山書堂を作り、彼の死後6年たったとき書堂の場所に弟子たちが書院を完工した。安東市内から五千里の安東君子村をすぎて安東湖を通過し、烽火 清涼山(チョンニャンサン)方面に位置する。  

 

▲栄州(ヨンジュ)の紹修(ソス)書院 ― 慶北 栄州市、順興面(スヌンミョン)ソベンロに位置する我が国最初の書院。朝鮮中宗の時、豊基郡守の周世鵬(チュ・セブン)が『白雲洞書院』という名前で建てた。当時の王から書籍、土地、奴隷などを賜り多大な特権を享受した。太い松が茂っていて、東側の絶壁には景濂亭というあずま屋があって流れる水音を聞きながら風流に浸ることができる。 

 

▲安東の屏山(ピョンサン)書院 ― 1572年西厓 柳成龍(リュ・ソンニョン)が豊山県にあった風楽書堂を屏山(ピョンサン)に移したそうだ。柳成龍の死後彼の弟子が位牌を奉安して1614年に屏山書院と名前を変えた。屏山書院の晩対楼は正面7間、側面2間の大規模な楼閣で洛東江(ナクトンガン)の流れと屏山とが交わって絵のような風景を作り上げている。講学堂登板から見下ろす風景が天下一品だ。夏になるとサルスベリの花が一面に咲き誇る。 

 

▲慶州の玉山(オクサン)書院 ― 慶北 慶州市、安康邑(アンガンウプ)玉山里にある書院で風致が優れている。晦齋 李彦迪(イ・オンチョク)を配享する所で興宣 大院君の書院撤廃令が下された時にも無事だった書堂。近くにある旅行名所として朝鮮時代の両班(ヤンバン)住宅がそっくり残っている慶州 良洞(ヤンドン)村がある。 

 

▲達成の道洞(トドン)書院 ― 朝鮮初期の儒学者、寒暄堂 金宏弼(キム・グェンピル)を配享する書院。傾斜がある山の斜面に建てられているので川を眺める景色が優れ、老いたイチョウの木がおもむきを加える。大邱(テグ)チンダルレ(ツツジに似た植物)の名所である琵瑟山(ビスルサン)と近い。  

 

咸陽、藍溪(ナムゲ)書院― 朝鮮 明宗(ミョンジョン)時代の学者、一蠹 鄭汝昌(チョン・ヨチャン)の徳行を賛える所で慶南 咸陽郡(ハミャングン)、水東面(スドンミョン)藍溪書院路にある。藍溪は前に流れる小川の名前。近隣にある鄭汝昌の古宅(咸陽 一蠹古宅)は朝鮮官吏家屋の典型的な形態だ。遺跡の名称は指定当時、建物主の名前を取ってチョン・ビョンホ家屋という。TVドラマ『土地』の撮影場所だ。 

 

▲井邑の武城(ムソン)書院 ― 全北、七宝面(チルボミョン)ウォンチョン1路に位置する書院で崔致遠(チェ・チウォン)、申潛(シン・チャム)などを配享している。朝鮮後期に生き残った47ヶ所中の一つだ。勉菴 崔益鉉チェ・イクヒョン)と遯軒 炳贊(イム・ビョンチャン)が乙巳保護条約締結の翌年である1906年に湖南(ホナム)義兵を構想したところでもある。 

 

▲長城の筆巌(ピラム)書院 ― 全南、長城郡(チャンソングン)、黄龍面(ファンニョンミョン)、筆巌里所在の筆巌書院は白羊寺(ペギャンサ)、祝霊山(チュンニョンサン)桧の森、長城湖、南倉渓谷、洪吉童(ホン・ギルドン)テーマパーク、笠岩山城、金谷映画村と共に長城八景の一つだ。朝鮮先祖23年の1590年、河西 金(キム・インフ)を賛えるために建設され、孝宗が直々に筆巌書院の懸板を下賜した。玄関にあたる廓然樓が二階に建てられて印象的であり表札板は尤庵 宋時ソン・シヨル)が書いたものだ。 

 

論山の敦岩(トンアム)書院 ― 忠南、論山市(ノンサンシ)塔亭湖の近くに位置する書院で、金長生(キム・ジャンセン)、金集(キム・チプ)、宋浚吉(ソン・ジュンギル)、宋時ソン・シヨル)などを配享している。周辺に塔亭(タプチョン)貯水池と百済軍事博物館、塔亭湖水辺生態公園などがある。

 

 

                          (翻訳:Naoko記者)

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