中国居住の韓国事業家が日本で購入
“高句麗仏像のうちで二番目に古いもの” 6世紀の中葉に作られたと推定される高句麗金銅仏像が中国北京で発見された。 ムン・ミョンデ韓国美術史研究所長は「北京に在住の韓国事業家Aさんが昨年10月、日本で購入した仏像が高句麗系の金銅仏立像」とし、「10点余りしか残っていなかった高句麗仏像の一つで意義が大きい」と明らかにした。 今回確認された仏像は釈迦立像で高さ18㎝、幅8.6㎝の大きさだ。仏身(釈迦のからだ)、光背(仏像後方の船の形のような装飾物)、蓮華座(仏像受け台)をすべて備えた完全な形態として残っている。 現在の完全な形の高句麗仏像は延嘉七年銘 金銅仏立像(539または、479)、癸未銘 金銅三尊仏立像(563)、景4年銘 金銅三尊仏立像(571)の3体しか残っていない。 この仏像の最も大きな特徴は仏の頭に球のような丸い髷(元結い)が上げられているという点だ。ムン所長はこのような形をしているので仏像を『球形肉髻式金銅仏立像』と名付けた。胸にV字形に開いた厚い服をかけ、左の手の平はひらいて下へ、右の手の平はひらいて上に上げている。髷と服と手の模様が高句麗仏像の典型的特徴という点がムン所長の説明だ。 昨年9月と11月に北京でこの仏像を直接見たムン所長は「延嘉七年銘 金銅仏立像と癸未銘 金銅三尊仏立像と類似した特徴を持っている高句麗系金銅仏立像の珍品であることを確信することができた」と話した。 現在、製作年代がはっきりと分かっている最も古い国内仏像は国宝119号である延嘉七年銘 金銅仏立像だ。光背の裏面に539年高句麗で作られたという記録が刻まれている。 ムン所長は球形肉髻式金銅仏立像が6世紀中盤の高句麗仏像の変貌過程を見せてくれる仏像だと見ている。技法や様式などを確かめてみると、延嘉七年銘 金銅仏立像から癸未銘仏像へと移りかわる姿を見せているということだ。癸未銘仏像と髷の形がほとんど同じだという点が根拠だ。また、仏頭の後ろに楕円形に陰刻された装飾が延嘉七年銘 金銅仏立像にはなかったことから、癸未銘仏像よりもさらに繊細な陽刻模様に発展したとムン所長は説明した。彼の説明のとおり今回の仏像が二つの仏像の間に造成されたとすれば、残っている高句麗仏像のうちで二番目に古いと解釈できる。 今回の仏像は1924年11月に日本の大阪美術展覧会に三日間出品されたことがあると明らかになった。当時図録には中国『北魏金銅如来像』と書かれていた。日帝強制占領期間日本の代表古美術貿易商である山中商会によって1900年代の初めに日本へ搬出されたと伝えられる。ムン所長は今回の研究結果を来月の学術誌『講座美術史』に掲載する予定だ。(翻訳:Naoko記者) <저작권자 ⓒ CRS NEWS 무단전재 및 재배포 금지>
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